2009年03月14日
後輩が、日本一に!!
個人的なことで恐縮ですが、あまりの嬉しさについ。。。。(涙)
土曜ですし、浮かれてるのかも。お許しください。(曜日は関係あるんか?)
我らが 甲南大学体育会クルージング部 の現役諸君が、今年の学生日本一になりました。
現役の皆さん、本当におめでとうございます。パチパチパチ!!
並みいる強豪を倒しての優勝、すごいぞっ!!(^^)v
確かに学生の部活動としては大変珍しく、日本全体でもまともに活動しているのは10校
ないくらい。やはり関東が多い。
日本大学・明治学院大学・防衛大学・慶応大学・東京大学・千葉大学・武蔵工業大学・
神戸大学・甲南大学
これらの面々で学生選手権(於:新西宮ヨットハーバー沖)が開催され、
現役が見事優勝したとの嬉しい一報が。
あ、そうそう。
わたくし、学生時代(平成元年4月~5年3月)からヨットレースをやっておりまして。。。
http://www.eonet.ne.jp/~konan-cruising/
艇はこんな感じです。(当時の甲龍8世)
http://www.eonet.ne.jp/~konan-cruising/8sei.html
ちなみに、甲南クルージング部の日本一は16年ぶりのことです。
何を隠そう16年前は、そう、私たちが4回生の時であります!!
(それが言いたかったんやろ!^^;)
我々の頃はこの大会の優勝校が日本代表として世界学生選手権に派遣されていて、
我々も日の丸を背負ってフランス・コートダジュールで2週間戦ってきました。
(過去の栄光~)
バブル期には日本がアメリカズカップへ挑戦するなどして大手メディアに取り上げられる
ことも増えたので、チラッと一般にも知られるようになった感もありますが、それでもヨットは、
しかも大型艇でのレースというのは日本では今でもマイナースポーツです。
しかしどんなにマイナーであっても、日本でトップになることのハードルの高さは、
さほど大きな違いはないと思います。
なんたって、「1番」の席は一人(一チーム)しか座れないんですから!(^^)v
艇そのものの購入費(1,000万円以上)や係留・維持費(年間100万円以上)
など、確かにヨットはお金がかかります。
かといって学校からいただく補助も当然他のクラブと同額であるため、巨額の
活動資金を自ら稼ぐべく、毎日交代で須磨ヨットハーバーの宿直をし、休みの
日には大丸の六甲流通センターでお中元・お歳暮の仕分けなど、みんなで
あくせくバイトに勤しんでいました。
(個人が得た報酬は当然、活動費としてすべて上納)
艇を維持していく苦労もさることながら、殴られ蹴られしながらの須磨浦公園までの
絶叫ランニング、「限界トレーニング」と称して先輩に囲まれての腕立て500回、
落ちたらボコボコに殴られるなどの超非科学的訓練、今思えばアホらしいめちゃ
くちゃなコトを真剣にやってました。
まぁ海の上でのコトですから、「理屈を超えた世界」と言うのは確かにあって、
荒れた海に誤って落ちた時など「アカン。。オレこのまま死ぬの??」という経験も
それなりに、みんなそれぞれしてたと思う。
ちょっと横道に逸れますが、
「最後は気合いや!」「最後は気持ちで勝負が決まる!」くらいことは、どんな
スポーツでもある程度のレベルでやってきた人なら違和感のないことでしょう。
学生同士の体罰なんてじゃれ合ってるくらいのもんで、鼓膜が破れるくらい
ボコボコにされてても、先輩の愛情(というか悪気のなさ)は何となく肌で
感じるものです。(私はドMか?)
それが証拠に、練習が終わったらフツーにメシをごちになったり、ワイワイ飲みに
連れて行っていただいたりしてたし。。。(別にタダメシやったからではない)
あの時代の理不尽な世界が、実は社会に出てからすごく役に立っていると思う。
現実の社会って「理不尽」なことがたくさんあるから、いちいちまともに捉えて反発
してたら、疲れてしょうがない。受け流すことも必要やなと。
そして今の日本はナンだかんだ言っても恵まれているのだから、どんな厳しい
状況といっても、「まぁ、命まで獲られることはないわなぁ」ということがほとんどだから。
(あの時の練習では、「この先輩、加減っちゅーもんを知らんのか!殺す気ちゃうやろな!」
と心配してしまうようなことが、たまにだがあった。)
そんな下級生の可哀そうな現実なんか当然外部の方には全く理解されず、
「学生の分際でヨットなんて。やっぱ甲南やの~」
などとありがちな誹謗を浴びながら、それでもすごく楽しくて、学生なりに
一所懸命没頭していました。
同期にも結婚式とかでたまにしか会わないけど、会えば今でも、1回生でいちばん
しんどかった時の、お互いテンパッていた頃の思い出話で盛り上がっている。
「○○が△△先輩にランニング中に蹴られて反逆し、その他の先輩全員に囲まれて
一斉にボコボコにされてたよなぁ~。ハハハ!!(爆笑)」とか。
4年間逃げずにやり通したという意味では、ナンだかんだお互いを認めていて
連帯感も強い?
(でも冠婚葬祭しか、それとたまにのゴルフくらいでしか会わんなぁ)
40歳を前にして改めて思いますが、
こういう気色悪いオトコの世界、決して悪くはないですね~。(*^^*)
しつこいですが。
現役部員の皆さん、日頃からご指導されているOBの皆さん、本当におめでとうございました。
普段ナンにも支援らしいことをしていないのに、こんなときだけOBヅラして便乗し、申し訳ありません。
でもめちゃくちゃ嬉しいです。
一時は部員不足でクラブの存続自体が危ぶまれた時期があったと伺っていますが、
ホントによかった。(まだ部員不足が解消された訳ではないと思いますが)
※部員不足に陥ったのは、「1回生への体罰で、その学生が学生部にチクッて活動停止になった」
という何とも今どきのコらしい原因だそうです。(^^;)
私も現場で、彼らの頑張りに恥じないようやっていきます。
以上、ホント個人的にですが、とっても嬉しい出来事でした。(^^)
投稿者 seiun : 06:06
2009年03月06日
「必要」な人になるために。(3)
前の2つを自分で読み返してみましたが、文章がクドイですね。(>_<)
しかも暑苦しい。ゴメンナサイ。
でも、ホンマに大事やと思ってることなんです。(*^^*)
文章がヘタなんは、しゃあない!(結局居直りかいっ!)
当然賛否はあるでしょうが、一緒に働いている仲間とは絶対に共有しておきたいことです。
--
さて、「必要」な人になるために、私自身が考えるコツがいくつかある。
どれもセコイものかもしれないが、「凡人」が人様に用いられ勝ち続けていくうえでは
絶対に必要だし有効だと(少なくとも私は)思っていることを書かせていただきます。
「相手中心」ということについて、です。
たびたび書いているのですが、本当に本当に大事なこと。
どんな業態であれ、商売の「本質(=外せないこと)」だと思います。
大人と「子供(=自己中心)」の、根本的な違いだと思う。
さてさて。
「自分がしてほしいと思うことを、人(対象者)にしてあげなさい」
誰のコトバだろう?聖書かな?
とにかく、よく聞くコトバである。物心ついたときから。
しかし今、私は思います。
これ、全くのウソですよ。絶対にっ!!
ナニを根拠に、「自分がしてほしいこと」を、自分と同じように「人(対象者)がしてほしいと思っている」なんて言えるんや?!
単に「自分がしてあげたいこと」を「人(対象者)に押し付けている」だけかも知れないのでは?
これこそ、まさに「自己中心性」であり「自己満足」じゃないの?
「(自分の)思い・善意」を「押し売り」して、「自己陶酔」しているだけでは?
多くの場合は、人間関係がおかしくなる。 少なくとも違和感発生。(涙)
そのままこの考え方で頑張れば頑張るほど、その人との心の距離は遠くなっていくだろう。
望んでいる結果とは全く逆。 あぁ、悲惨。。。。(ToT)
たまたま結果がうまく行ったとしても、それはあくまでたまたま「当たった」だけ。
もしくは、お相手が拒絶するほどには「外れていなかった」だけである。
大事なのは絶対、コレ。
「人(対象者)がしてほしい」と思っていることを、「その人にしてあげる」こと。
だから、喜ばれるのだ。
当たり前である。
その人が「真に」望んでいることをきちんと把握し、それを満たして差しあげる。
つまり「(自分本位の思い入れで)当てにいく」のではなく、「(お相手の願望を)外さない」という感じが大切。
それでこそ、「相手のために」となるのではないだろうか。
その人が望んでいることをして差しあげるから、「その行為」によってその人に「思い」が伝わり、その「心遣い」に感謝され、お付き合いを続けてくださるのだ。
え?じゃあ「相手が『真に』望んでいること」は、どないしたら分かるねん?
そんなのなんにも難しいことではない。
分からなければ、 横着せず(自分本位の予測で済ませず)に、「聞く」だけのこと。
ご本人に直接「聞く」のがムリもしくはマズければ、そのご本人の「好き嫌い」、「真に求めていること」を「確実に」ご存知の方にそれとなくでもきっちりと「確認する」ことである。
くれぐれも、予測・想像はぜったい危険。
「確認する」ことを怠って、「(自分なりに)予測・想像する」なんてぜったいアカン!!
(特に注意すべきなのは、中途半端に遠慮しないといけない距離感がお相手との間にあるとき。
親友レベルなら気兼ねせずズバリ聞けるだろうが、そこまでではない場合、多少の気遣い・遠慮が必要な場合に、「確認」を飛ばして「予測・想像」に走ってしまうことが多い。その時こそ「要確認」!!
その人を「喜ばせよう」と(意欲的になって)肩に力が入った時ほど客観性を失い、無意識のうちに「自分の欲求」を満たすことを最優先してしまい、墓穴を掘りがちなのだ。)
我々は「自分を基準に」置いてしか(=自己中心的にしか)、予測・想像するということなんてできないもの。
例えばプレゼント。
サプライズ~♪なんて言って、本人の好みをろくに考えず、「さぞかし喜んでくれるだろう」なんて勝手に期待して、相手が自分にめちゃ感謝してくれている状態を勝手にイメージして。。。
もしそのお相手の好みとズレてたら。。。
そりゃ、単に迷惑なだけやろっ!
しかもそれを顔にも出せず、喜んだ「フリ」でもしないといけなかったら、
お相手もたいがいしんどいやろっ!!
もしお相手が正直な(不器用な)人で、不満な感じが表情にチラッと出たりなんか
したら、「せっかくしてあげたのに~」とか「もっと喜んでくれると思ったのに~」なんて逆に文句を言ってしまうくらいかも。
アンタが勝手に期待しただけやろ!相手の好みも都合も考えんと!!
それでせっかくの人間関係がギクシャクなんてしたら。。。
こりゃもうマンガの世界です。(>_<)
でも日常、本当にたくさん起こっているように思う。
たとえば一人で昼ごはんを食べている人がいるとして。。。
A子さん:「ねぇねぇB子ちゃん、一人で食べるなんて淋しいじゃない!
こっちで一緒に食べようよ~。♪」
(みんなでワイワイやるのが好きで、みんなもそれが好きなはずだし、一人でいるなんて淋しいはずだ、と真顔で思い込んでいるA子さん。)
B子さん(の心の中):「え、えぇ。。。でも私は一人で色々考えながら食べるのが好きなんだけどなぁ。
いつもじゃないにしても、今日はそういう気分なんだよなぁ。でも行かないとマズイかなぁ。」
(一人でゆったりと考えごとをするのが好きで、あんまり長い時間人と一緒にいるとたまに疲れるB子さん)
結局、B子さんは断りきれずにみんなの輪に合流。しかし、あんまり会話に入れず。。。
A子さん:「B子ちゃん、自分なにぃ?(大阪では「相手」のことを「自分」と言う)なんでみんなの楽しい会話に入ってこおへんのぉ?せっかく誘ってあげたのに。」(出た~っ!!「せっかく誘ってあげた」なんて「自己中心」で恩着せがましい、しかも「上から目線」!)
B子さん(の心の中):「いや、だからぁ。。。今日は自分一人で昼間に考えごとをしたかったのにぃ。。」
(でもその場の空気も読んでしまい、「イヤなものはイヤ」と正直に言えない)
A子さん:「ふんっ!この子、オモンないわ!」(大阪で実によくある会話^^;最も軽蔑した時に吐くコトバ)
B子さん:「…」
A子さんはB子さんに、みんなと一緒に食べたいかどうかをまず「確認する」ことです。
(もちろん「ダブルメッセージ」(例:イヤよイヤよもスキのうち)というものはあるので、その人の性格も含め、「本当に望んでいること」を確実にキャッチすることが必要)
とにかく、大事なのは「相手中心」。
「喜んでほしい」という思いは確かに尊いものですが、我々は動物的本能として、とことん「自己中心」的な生き物であることの自覚を忘れずに。
お相手の欲求を満たすことを忘れて?もしくは放っておいて、「自分の欲求を満たすこと」をつい優先してしまいがちので、くれぐれも気をつけよう。
「相手のために」なんて言いながら、実は「あなたを喜ばせようと思ってこーんなに動いている私」を認めて~♪なんてメデタイことにならないように、注意注意。。。
(とエラそうに言うてる私も、日常はどうだか。。。^^;)
人は、「自分が『真に』求めているモノ(感情・こと)を手に入れるために、『必要』な人(モノ・企業)」をそれこそ必要とし、期待し、信頼する。
特にビジネス社会では、ホントにそう思います。
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 05:53
2009年02月24日
「必要」な人になるために。(2)
「では、どうしたら『必要』な人になれるのか?」
大まかな話ではなく、順にいくつか例を挙げていきたいと思う。
(ただし当然だが、あくまで私の拙い私見・解釈です。)
ところで具体的に触れる前に、2つの大前提に触れておく。
まず私は、社会とは大多数がいわゆる「凡人」の集合体であると捉えている。
その「平凡さ」を自覚しまた感謝しつつ、現代社会を形成している一員たる
ささやかな誇りも持った「凡人」として、たくましく強く、そして楽しく生き抜いて
いくためにも、この大前提を理解することが本当に大切だと考えている。
まずは、「誰が自分の価値の有無を、有るとしたらその量を決めるのか」である。
職業人・組織人としては、まずこのことを見極めることが大事。
しかも場面や時期によって変わるし、複数の存在を同時に気にかけないと
いけないこともある。
企業人で言えば、まずは「お客さま」だろう。これは言うまでもない。
( 弊社内では共有している考え方だが、「お客さま」というコトバはかなり雑な表現で、実際には
役職・職業観等において、「お客さま」は様々な階層に分かれる。ここでは深くは触れず、大雑把に「お客さま」としておく )
そして組織であるから、(好きであってもそうでなくても、能力の有無も別として、)社長か担当役員、自分の直属の上司たち。
彼等はまさしく、人(部下)の価値を「評価・査定」することが仕事である存在だ。
あと、直接的に査定されることはないかもしれないが、(好きであってもそうでなくても、能力の有無も
別として、)同僚や部下からの「評価」も無視はできないだろう。
例えばWBC日本代表チームで言うと、原監督と担当コーチということになる。
選手の「価値」の有無と量は、選手自身ではなく、彼らが「決める(=判断する)」のだ。
選手間投票でもなく、世論調査なんてものでもない。
そして、監督やコーチ陣は、結果がよければ余りある賞賛を受け、逆に期待を上回る水準に
達しなければ、その結果に対してプロとして「責任」を取る(=辞任も含め)ことになる。
そして次に大事なこと。
その人が「価値」の有無、およびその量を評価(査定)する際の「ポイント(=判断基準)は
何か」ということである。
組織・チームとして「目指しているもの(=成果・勝利)」を手にするために、リーダーは与えられた「資源(=人・モノ・カネ・情報)」をもとに、最適な「戦略・戦術」を練る。
そしてそれを実現するための「戦力」を、組織(チーム)として最適な組合せを考慮しつつ、
複数ある候補(=選択肢)の中から選ぶのだ。
やむを得ず、「選ばれる人」がいればそうでない人も出てくる訳である。
つまり、「必要性」を基準に、見極められ、選別されるのだ。
WBC日本代表でいうと、「国民の期待に応え、野球の素晴らしさを再認識させる」という挑戦の
「目的」のもと、それを実現するために「優勝」という絶対目標があり、世界の強豪を倒すため、
日本の繊細な野球の強みを生かすために最良の?(苦し紛れの?)戦略として、「つなぐ野球」
を掲げている。
だから原監督は、自分の判断・責任において、4番にホームランは望めないが三振の少ない
稲葉を置き、所属チームでは先発要員の田中マー君のマウンド度胸を買い、中継ぎの柱と
して充てたのである。
選りすぐりの超一流選手たちであっても、原監督・コーチ陣の構想に入れなければ、レギュラーどころか、28人という厳しい登録人数制限がある以上、「戦力」にも入れないということになる。
要するに、ナニが言いたいのか。
「他者評価」という「社会(特に経済社会)の原則」の中で、その人の聡明さが問われる分かれ目は、
まずは「相手を中心に据える」という「考え方」を「受け入れる(=選ぶ)」ことができるかどうかである。
我々動物は元来、健全な意味で「自己中心」なもの。
健全な意味で「自分が最も大事」だし、その自分を輪の中心として、家族・地域社会・国家・世界と
順につながっている。
「自分を大事」にし、その「(周囲から見た)価値」の存在を自分で確認できているからそこで初めて、周囲のことを慮ることができているのだ。
とくに最近の流れは、(「(現在と将来の)自分の価値(=他者評価)」に漠然と不安があるから、国家・企業・個人の行動基準がますます「自己中心」的になってきている。
「キレイごとなど言っていられない。なりふり構わず、まず我が身を守らねば」という今の時代は、
個々の現象を評論化風情で(上から目線で)表層的に否定できるものではなく、我々の持つ
自己防衛本能としての「自己中心性」の本質を我々自身が自覚する良い機会である。)
我々職業人は、「(職業人として)生き抜く技術」として、「他人(=自分以外の存在)の『自己中心性』を満たす」ことで「自分の価値」を証明しようとしているのである。
イチローはじめ超一流プロ野球選手であっても、所属チームの一選手である以上、監督の意向に
沿う(=好みに合う)選手像をまず演じ切れるかどうかが問われている。
プロ野球選手と同様、職業人である我々は、「他人(=自分の価値を決める存在)」にとって「なくてはならない」存在となるべく、その質と量を最大化すべく、自身の持っている専門知識や専門技術、経験などを総動員して競っている。
好むと好まざるとにかかわらず、「他人の『自己中心性』をいかに満たせるか」の質と量、を競う
ゲームのプレーヤー(=当事者)なのだ。
当社はお客さまとともにこのサバイバルゲームに勝ち、その「選別の基準が厳しくなればなるほど、
選ばれる」という存在になると決めている。
我々は(誇りある)凡人なのだから、今さらながら、その大前提を理解する(だけでなく、受け入れる)ことの重要性はとてつもなく大事な第一歩(=入り口)だと私は考える。
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 05:50
2009年02月22日
「必要」な人になるために。(1)
我々は、自分(自社および自社が提供する製品・サービス)の価値を、
自分自身で決めることはできない。
ビジネス社会の、大原則である。
「(お金を支払ってでも)必要かどうか」は、支払う側、すなわちお客さま(この場合は「見込み客」の段階)が決める(=選ぶ)のである。
現実として、自分の「価値」は自己評価ではなく、「他者評価」なのだ。
自分以外の存在が「我々の価値」を決めるのだ。
自分(自社)自身がいくら「これは素晴らしい製品・サービスだ」と熱く主張しても、
それに対して「お金を支払うほどの価値があるか否か」「価値があるとして、
その金額の上限はいくらか」は、すべて購入する側が判断(選択)することである。
「私自身には価値がある!」との主張も同様である。
「価値があるか否か」「あるとして、どんな価値がどれくらいあるのか」は、
選ぶ側、判断する側が、それこそ「主観(『好み』も含めて)」や「その時々の事情・都合」によって決める(選ぶ・判断する)ことなのだ。
身も蓋もない話になってしまうようだが、その「当たり前の大原則」が分からないと、
特に職業人・組織人としては苦労をしてしまうようだ。
それなりに意欲があり、自己評価がいくら高くても、このキモが心底理解できていないと、
一度しかない貴重な職業人生の中で、「無用の苦労」を「自ら(わざわざ)選んでしまう」ことになる。
逆に、この大原則(=コツ)が分かっている人は、それだけで大きく得をする。
分かっていない人には追いつかれないほど、すでに圧倒的に優位なのだ。(^^)v
「それじゃ、どうしたら『必要』な人になれるのか?」
について私の考えるところは、24日(火)に書かせていただきます。
大変失礼いたしました。(^^;)
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 06:50
2009年02月19日
「必要性」とは?
今の時代、ビジネスのキーワードは「必要性」だと思う。
「必要性」のない(と判断した)ものに対しては、企業も人も、お金を支払わないのだ。
家庭・個人はまだしも、企業体の場合はより明白である。
では「必要性」とは何か?
「必要性がある」という判断は、どういう状態を言うのか?
「あったら便利」ということか?
今の時代、そんな程度で「必要である」とは言えない。
そんな理由では、組織の判断として、出費の許可を出すことはできない。
「あったら便利なのになぁ」というレベルでは、「なくても何とかなるかぁ」で片付けられる
程度でもあるのだ。
改めて今の時代、企業体にとって「必要性」とはどういうことを言うか?
「ないと困る」ということである。
「お金を払ってでも、そのモノ(サービス)は手に入れないと困る」というレベルで、
初めて「必要」だと言えるのである。
1.「本当に必要なモノ(サービス)なのか?」、
もし必要だとしても「この価格は適正なのか?」と現状を冷静に見直した場合に・・・。
「ないと困る」というモノであり、サービスであること。
「金額は高いようにも思うが、そのモノ(サービス)を手に入れるためならこの金額は
妥当だ。いや、むしろ安いかもしれない」というものであること。
2.さらに「今、どうしても必要なのか?後回しではダメなのか?」を見極めたとき・・・。
「今、なきゃ困る」というモノ(サービス)であること。
「後回しじゃ困る」と判断されるモノ(サービス)であること。
3.さらにさらに「他の候補(選択肢)」と比較されたとき・・・。
「他のモノ(サービス)じゃなくて、あなたのトコのモノ(サービス)じゃないと困る」ということ。
「他の会社じゃなくて、あなたの会社じゃないと困る」と言われること。
「他の人じゃなくて、アナタじゃないと困る!」と言っていただけるほどであること。
そのレベルで「必要」だから、お金を支払ってでも手に入れるのだ。
「必要」というコトバの意味が、より厳格になっている。
ヌルい時代だったから(ただ何となく)選ばれていたモノ(サービスも企業も人も)は
すでに淘汰されているし、さらに加速していく。
理不尽ではあるが「現実」として、これから「結果の平等」という概念はどんどんなくなっていく。
それに比べて「機会の平等」は、まだ辛うじて残っている。
資本主義がともすれば行き過ぎて、グロテスクに牙を剥き出しにしているような時代だが、
我々はその制度の利益もたくさん享受している。
この日本でこれからも生きていく覚悟をしているならば。。。
我々は、お客さま・市場のなかでも「必要」というコトバの意味が厳格になればなるほど、
選ばれる存在になろう。
そのプロセスを楽しみながら、
今の製品・サービスの質を磨き、新たに製品・サービスを開発していこう。
お客さま・市場の「必要性」を満たす、いや超えるレベルで。
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 21:58
2009年02月08日
「見直し、見極め、選別」する時代、
「ブログ、止まってるがな」とツッこんでくださった方々、
ありがとうございました。(*^^*)
弊社のお客さま向けには、ずっとFAXで、「経営幹部・管理職 編」と
「IR・法務 編」としてお送りしておりました。
どなたに頼まれた訳でもございませんが(^^;)、ブログも再開させていただきます。
自己満足で拙い戯言を並べますが、予めお許しください。
--
人それぞれ色々な解釈があるとは思うが、この時代を、
私は「経済が『まとも』になっていく時代」と捉えている。
今までがおかしかった(ヌルかった)と考えた方がいいと思う。
企業も個人も、本当に「必要な」ものにしかお金を払わなくなった。
人の欲を際限なく満たすという拡大経済より、地球環境にもその方がいいだろう。
個人はまだ自身の判断・好みによって
「欲しい!」という感情(だけ)でモノを買うことがあるだろうが、
今や企業はそうはいかない。
「理屈」がしっかり通らないものには、予算そのものがつかない。
「欲しい!」「あったらいいなぁ」程度の「感覚・感情」だけでは、
モノ・サービスを買うことは許されないのだ。
購入(予算計上)までの関門は、以下の3段階。
1.「本当に必要なモノ(サービス)なのか?」、
もし必要だとしても「この価格は適正なのか?」と現状を冷静に見直し、
2.さらに「今、どうしても必要なのか?後回しではダメなのか?」を見極め、
3.さらにさらに「他の候補(選択肢)」と厳正に選別する。
そのすべてをクリアして残ったモノ・サービスにしか、お金を払わない。
まともな企業ほど、この3段階の関門は厳格だ。
つまるところ、基準は「必要性」。
だとするならば、我々がなすべきことは至ってシンプルである。
対象とするお客さま(企業・人)それぞれの「必要性」を満たす
モノ・サービスを開発し、すでにあればその「質」をさらに磨くこと。
それらを、自社の製品・サービスを「必要」とする(であろう)お客さま層・市場
と結びつけること。
お客さま(企業・人)それぞれの「必要性」を満たせる存在(企業・人)、
そして少なくともそれを期待される存在(企業・人)だけが勝ち残り、
そして「引き続きゲーム(=『お役立ち・知恵比べ』競争)に参加する」
ための資格を与えられる。
もしこのまま資本主義が続くなら、ゲームの法則・ルールはますます、
至って至って「純粋な(=グロテスクな)原則」の方向に進んでいくのだと思う。
であれば、我が社も「あったら便利」程度の弱い存在ではなく、
「お客さま(企業・人)にとって、なくてはならない」存在であり続けよう。
知恵を絞ることを疎かにして何でもかんでも「リーマンが悪い」と
ボヤくのは、まだまだ余裕と甘えがある証拠だと考えよう。
ゲームに参加する以上、「いかに、お客さま(企業・人)にとって
なくてはならない存在になれるか」に知恵の全てを絞り出そう。
その過程を味わいながら、どうせ戦うならやっぱり勝って、お客さま(企業・人)と
ともに喜び合おう。
こちらから売り込むようなことではなく、お客さま(企業・人)から求められ、
「なら、売って差しあげましょう」と言えるくらいの「質」を創り出し、
他を圧倒するレベルでお客さま(企業・人)に喜んでいただこう。
「だから、アンタじゃないと困るねん!」と言われ続けよう。
こちらから「お客さまを選べる」くらい、製品・サービスを磨き続けよう。
そして。
「『仕事』って、だからオモろいんやで♪」と子供(や若い人たち)に言える親(大人)であろう。
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 09:40