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2009年02月24日

「必要」な人になるために。(2)

「では、どうしたら『必要』な人になれるのか?

大まかな話ではなく、順にいくつか例を挙げていきたいと思う。
(ただし当然だが、あくまで私の拙い私見・解釈です。)

ところで具体的に触れる前に、2つの大前提に触れておく。
まず私は、社会とは大多数がいわゆる「凡人」の集合体であると捉えている。
その「平凡さ」を自覚しまた感謝しつつ、現代社会を形成している一員たる
ささやかな誇りも持った「凡人」として、たくましく強く、そして楽しく生き抜いて
いくためにも、この大前提を理解することが本当に大切だと考えている。

まずは、「誰が自分の価値の有無を、有るとしたらその量を決めるのか」である。
職業人・組織人としては、まずこのことを見極めることが大事。

しかも場面や時期によって変わるし、複数の存在を同時に気にかけないと
いけないこともある。

企業人で言えば、まずは「お客さま」だろう。これは言うまでもない。
( 弊社内では共有している考え方だが、「お客さま」というコトバはかなり雑な表現で、実際には
役職・職業観等において、「お客さま」は様々な階層に分かれる。ここでは深くは触れず、大雑把に「お客さま」としておく )

そして組織であるから、(好きであってもそうでなくても、能力の有無も別として、)社長か担当役員、自分の直属の上司たち。
彼等はまさしく、人(部下)の価値を「評価・査定」することが仕事である存在だ。

あと、直接的に査定されることはないかもしれないが、(好きであってもそうでなくても、能力の有無も
別として、)同僚や部下からの「評価」も無視はできないだろう。

例えばWBC日本代表チームで言うと、原監督と担当コーチということになる。
選手の「価値」の有無と量は、選手自身ではなく、彼らが「決める(=判断する)」のだ。

選手間投票でもなく、世論調査なんてものでもない。

そして、監督やコーチ陣は、結果がよければ余りある賞賛を受け、逆に期待を上回る水準に
達しなければ、その結果に対してプロとして「責任」を取る(=辞任も含め)ことになる。


そして次に大事なこと。

その人が「価値」の有無、およびその量を評価(査定)する際の「ポイント(=判断基準)は
何か」
ということである。

組織・チームとして「目指しているもの(=成果・勝利)」を手にするために、リーダーは与えられた「資源(=人・モノ・カネ・情報)」をもとに、最適な「戦略・戦術」を練る。

そしてそれを実現するための「戦力」を、組織(チーム)として最適な組合せを考慮しつつ、
複数ある候補(=選択肢)の中から選ぶのだ。

やむを得ず、「選ばれる人」がいればそうでない人も出てくる訳である。

つまり、「必要性」を基準に、見極められ、選別されるのだ。

WBC日本代表でいうと、「国民の期待に応え、野球の素晴らしさを再認識させる」という挑戦の
「目的」のもと、それを実現するために「優勝」という絶対目標があり、世界の強豪を倒すため、
日本の繊細な野球の強みを生かすために最良の?(苦し紛れの?)戦略として、「つなぐ野球」
を掲げている。

だから原監督は、自分の判断・責任において、4番にホームランは望めないが三振の少ない
稲葉を置き、所属チームでは先発要員の田中マー君のマウンド度胸を買い、中継ぎの柱と
して充てたのである。

選りすぐりの超一流選手たちであっても、原監督・コーチ陣の構想に入れなければ、レギュラーどころか、28人という厳しい登録人数制限がある以上、「戦力」にも入れないということになる。


要するに、ナニが言いたいのか。

「他者評価」という「社会(特に経済社会)の原則」の中で、その人の聡明さが問われる分かれ目は、
まずは「相手を中心に据える」という「考え方」を「受け入れる(=選ぶ)」ことができるかどうかである。

我々動物は元来、健全な意味で「自己中心」なもの。

健全な意味で「自分が最も大事」だし、その自分を輪の中心として、家族・地域社会・国家・世界と
順につながっている。

「自分を大事」にし、その「(周囲から見た)価値」の存在を自分で確認できているからそこで初めて、周囲のことを慮ることができているのだ。

とくに最近の流れは、(「(現在と将来の)自分の価値(=他者評価)」に漠然と不安があるから、国家・企業・個人の行動基準がますます「自己中心」的になってきている。
「キレイごとなど言っていられない。なりふり構わず、まず我が身を守らねば」という今の時代は、
個々の現象を評論化風情で(上から目線で)表層的に否定できるものではなく、我々の持つ
自己防衛本能としての「自己中心性」の本質を我々自身が自覚する良い機会である。)

我々職業人は、「(職業人として)生き抜く技術」として、「他人(=自分以外の存在)の『自己中心性』を満たす」ことで「自分の価値」を証明しようとしているのである。

イチローはじめ超一流プロ野球選手であっても、所属チームの一選手である以上、監督の意向に
沿う(=好みに合う)選手像をまず演じ切れるかどうかが問われている。

プロ野球選手と同様、職業人である我々は、「他人(=自分の価値を決める存在)」にとって「なくてはならない」存在となるべく、その質と量を最大化すべく、自身の持っている専門知識や専門技術、経験などを総動員して競っている。

好むと好まざるとにかかわらず、「他人の『自己中心性』をいかに満たせるか」の質と量、を競う
ゲームのプレーヤー(=当事者)なのだ。

当社はお客さまとともにこのサバイバルゲームに勝ち、その「選別の基準が厳しくなればなるほど、
選ばれる」という存在になると決めている。

我々は(誇りある)凡人なのだから、今さらながら、その大前提を理解する(だけでなく、受け入れる)ことの重要性はとてつもなく大事な第一歩(=入り口)だと私は考える。

(文責:常務 田畑良一)

投稿者 seiun : 2009年02月24日 05:50